福祉の街 社長ブログ

たんぽぽの会 

 先週の土曜日、T病院の「たんぽぽの会」という患者遺族の会に参加した。私事で恐縮だが、昨年の1月、妻を末期癌で亡くした。ちょうど2年前の今頃、妻は抗癌剤治療を止め、自らの意志でT病院の緩和ケア病棟に入院した。

 

 たんぽぽは、花が咲いて2,3日たつと花と茎はしぼんで倒れてしまう。休んで種に栄養を送るためで、また綿毛ができると倒れていた茎が起き上がり花が咲くという。「家族を亡くした遺族も、たんぽぽのように無理をせず、ゆっくり休んでまた歩き出せばいい」という意味で、「たんぽぽの会」と命名されたそうである。

 

当日は遺族がいくつかのグループに分かれて、自己紹介に始まり入院中の思い出、そしてその後の状況や心境を語り合った。私のグループは私と同じように50代の連れ合いを亡くされた男性が3名、看護師そして時には先生(医師)にも参加いただいた。話は自然と始まり、穏やかに途切れることなく続き、予定の1時間はあっという間に過ぎた。

 

・抗がん剤治療で一旦治まってもう大丈夫かと思っていた矢先、急変してT病院を紹介された(カドサイラで副作用もなく治療を続けていたが効果が小さくなり、思ったより早く治療終了を告げられた)、

・緩和ケアで痛みが治まると、本人は回復しているように思っていたようだ(妻も一時期前向きにリハビリに取り組み始めた)、

・会社の協力があって病院に通うことができた(私も、会社の理解・協力のお蔭で平日も妻のところに行くことができた。感謝の一言に尽きる)、

・本人には死期がわかっていたのだろう(亡くなる前日、妻の「私死ぬの?」の言葉に何も答えられなかった)、

・家が病院の近くなので長い時間付き添うことができたのに、肝心の死に目にあえなかった。ちょっと家に帰っている間に息をひきとってしまい、今もそれが心残りだ(仮眠室で少し横になっていたら、付き添っていた娘が「息がきこえなくなった」と飛び込んできた。私も最期一緒にいれなかった)、

・亡くなった妻に「有り難う」というメールを送っていた自分がいる。今もその携帯を持っている(亡くなる2日前、誤字だらけの文と、酸素吸入になった自分の姿をラインで送ってきた。今も携帯に残っている)、

 

そして、

・今もT病院に近づくのが辛い(毎日の通勤、車窓にT病院が見えそうになると目を背けてしまう)

・同居している子供もいずれいなくなれば一人暮らしですね(いずれ大晦日一人で年を越すのだろか)

と、話は今の生活、今後の生活に及び、お互いの思いが重なる。

 

やがて、

・人の看取りをする仕事は肉体的にも精神的にも大変ではないですか? どうして頑張れるのですか?

・看護師さんはちゃんと休める日はあるのですか

・食生活は大丈夫ですか。

という先生や看護師への質問に変わり、「食生活は一人暮らしに近い私たちとあまり変わらないですね」などと他愛もない話で、小さく笑盛り上がり、不思議と気持ちが和む。

 

考えてみれば、先生や看護師さんたちの身を粉にした頑張りのお蔭で、私たちは助けられ、納得いく看取りをすることができたのだ。感謝の気持ちで一杯である。(最後の帰宅は大晦日の一泊二日。病院内では賛否両論があったようだが、病院の方々の思いやり、決断そしてチームワークのお蔭で、家族4人で最後の年越しができた)

これからも多くの人を看取るという大切な仕事をされる病院の方々。決して顔色がいいとは思えず、身体は大丈夫なのだろうか。(老婆心ながらご自身の身体を大切にされることを祈る)

 

最後に折り紙でタンポポを折り、先生と看護師のウクレレの伴奏で「ふるさと」を歌い、会は和やかな雰囲気のうちに終了した。自分の心が全て整理できたわけではないが、参加して良かった。心からそう思えた。

帰りの電車、夕暮れの車窓にT病院が見える。これからは車窓に目を背けることも止めようと思う。そして三回忌を迎える頃、ちょうど私の携帯も更新の時を迎える。入院中の妻とのやりとりが残っている携帯もそろそろ終わりにしようと思う。前に向かって歩いていくために。ゆっくりと、そして無理をせずに。


(妻の闘病生活中にお世話になった方々、残った家族に気を配っていただいた方々、そしてたんぽぽの会を準備、運営いただいたT病院やボランティアの方々、すべての方々に感謝申し上げます)