福祉の街 社長ブログ

介護三兄弟 ~新しい先生と弟子の関係~

いつしか新緑の季節になりました。

当社は4月より新年度に入り、13日に今期の経営方針発表会を行いました。今年は、セントケアホールディングの村上美晴会長、そして名古屋から㈱福祉の里の矢吹孝男社長にお越し頂きました。

 

介護三兄弟

経営方針発表会の冒頭、当社の会長安藤より、世の中には自らも含めた3人を団子三兄弟ならぬ「介護三兄弟」と呼ぶ人がいるそうで、介護黎明期である約30年前に会社を立ち上げた3人は、以来朋友として励まし助け合いながら今日に至った、と紹介ありました。

セントケアH 村上会長     ㈱福祉の里 矢吹社長                当社 安藤会長 

村上会長(経営方針)のサムネイル画像矢吹社長(経営方針発表会)のサムネイル画像安藤会長(経営方針発表会)

 

当時、安藤(長男)が少し早く訪問入浴の事業を始め、矢吹社長(次男)、村上会長(三男)と続きます。村上会長は「埼玉県の訪問入浴は誰も手をつけていない」というある方の話しを聞き、埼玉県の市町村に営業をかけたそうですが、どこへ行っても、既に当社安藤が開拓した後・・・1件も契約がとれず、埼玉県での事業を断念したそうです。またある時には名古屋を訪ね、6畳一間の事務所で喜々として訪問入浴事業に取り組んでいる矢吹社長の姿をみて大いに励まされ、頑張ろうという気持ちになったとも。その後千葉県、神奈川県の市町村と契約を結ぶことができ、そして30年・・・・今日に至ります。

私は傍にいて、3人は組織とか利害を越えた、真の人間性に基づいた関係にあり、とても羨ましく思います。

 

経営方針発表会では、矢吹社長から「皆さん(特に私でしょうが)がしっかりして、早く長男(安藤)を安心させて下さい。次男からのお願いです」と、長男への思いやりと、甥である私たちへの、厳しくも愛情に満ちた挨拶を頂き、本当に有難く思いました。

 

「こころ」にみる「新しい先生と弟子との関係」とは

ところで今、NHKテレビ(Eテレ)「100分de名著」で、夏目漱石の「こころ」が放送されています。先日10日は「新しい先生と弟子との関係」がテーマでした。「こころ」では、主人公である「私」が、学校の「先生」でもない、ただブラブラしているだけの無職の"プータロー"を「先生」と呼んでいますが、どうしてそういう人を「先生」と呼んだのか、言い替えれば、漱石はなぜそういう人を「先生」に設定したのか、という内容でした。ゲスト解説者の政治学者姜尚中さんのお話が、介護三兄弟ならびに、これからのリーダーの在り方を示唆するものでしたので、以下に紹介します。

 

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 今、私たちのこの世でしばしば「リーダー不在」ということが言われていますが、私はその原点は実に明治にあったのであり、漱石はそれをいち早く感じ取り、それ故にこそ新しい時代における「新しい先生と弟子の物語」を書いたのではないかと思います。・・・・漱石は明治を「実はなく名ばかりのリーダーの時代」と評しており、そのアンチテーゼとして、さらには「名より実の師弟関係を求める」強い気持ちが、漱石流の「先生」に表れたのではないでしょうか。すなわち、公の制度(官僚制度・企業組織・教育制度)で定められた先生(学校の先生や、官僚・企業組織で言えば上司でしょう)が「先生」ではなく、自分がこの人だと見込んだ人がすなわち実の「先生」だと言っているのです。ここで重要なのは自分の主観であり、鑑識眼であり、意思です。公の制度による師弟関係は「客から金をもらって一時的に遇している宿屋の主人」と「金を払って一時的に滞在している宿屋の客」の関係と同じわけです。(NHKテレビテキストより抜粋)

 

 介護三兄弟の関係は、勿論漱石の言う実の「新しい先生と弟子との関係」でありますが、私はその根底にある、3人各様の揺るぎない主観・鑑識眼・意思、もっと言えば思想・価値観が、3人の関係性においてだけでなく、お客様・社員・関係者・地域社会(今日的に言えば、ステークホルダー)との関係性においても発揮され、リーダー不在のこの時代にあって、真の先生(リーダー)として成功を収めてこられたのではないかと思うのです。

 私は足元にも及びませんが、経営者である介護三兄弟を実の先生として、私自身が「客から金をもらって一時的に遇している宿屋の主人」ならぬよう努めなければなりません。

平尾 雅司